一枚の写真
リビングの横の本棚に写真のスペースがある。還暦を過ぎたあたりから写真を飾るようになった。一枚また一枚と小さな額におさめた写真が増えていく。そんな中に、一枚のモノクロ写真がある。2~3歳くらいの小さな男の子と、当時の僕の後ろ姿のスナップ写真だ。まるで孫とジイジのショットに見えるのだが、孫ではない。彼(小さな男の子)は僕の大事な友人の息子で、数えてみたら10年ほど前の写真ということになる。当時の僕の腰回りは太かったんだな(笑)。
まだ、自分の孫など存在しなかった頃だから、まるで本当の孫のようにかわいがっていた。彼は僕のことを「マットー・ジイジ」と呼んでなついていた。松任に住んでいるジイジだからと、親である友人が名付けたものだ。正確に言えば、彼を大事にかわいがっていたのは僕の家内の方で、ゆえに、彼がなついていたのも家内の方だ。僕は便乗していたに過ぎない(笑)。
食事と歓談が終わって、両親が帰ってしまうのに、自分は泊まるといって、一人で僕の自宅に泊まり、一緒に入った風呂で、シャンプーハットをかぶって、髪が洗えるようになったことを自慢していた(笑)。両親がともにデザイナーという環境のせいか、彼はこの頃から絵を描くのが上手だった。小学校に入ると、いつもスケッチブックを持っていて、僕と「絵のしりとり」をしてくれる。しりとりの言葉の応酬ではなく、絵で答えていくのだ。これがホントに上手だった。そういえば展覧会で入賞した彼の作品を観に行ったりしたこともあったな。
時が流れ、小学校の高学年になると自我の成長とともに、あまり遊んでくれなくなった。彼の作品はスケッチブックを卒業し、携帯ゲーム機の中に自分の家や架空の街を作っていくほどになっていった。それはとても緻密な力作だった。もしかすると建築系の才能があるのかもしれない(笑)。いずれ本物の孫が誕生したら、彼と遊んだ記憶をなぞっていくんだろうな、などと考えていたと思う。一足先に本物のジイジの練習をさせてもらっていたのだろう。
後年、僕にもホンモノの孫が誕生した。しかも男の子ばかり4人だ。しかし、まだ彼と練習した「絵のしりとり」はできていない。モノクロ写真の彼は、先日14歳の誕生日を迎え、テニス部に入っていて、すらりとしたイケメン中学生に成長した。いまは文房具にはまっているらしい。大人になったんだな。
この秋に、彼の父親である友人と一緒に東京に行く機会があるから、銀座の伊東屋か丸の内の丸善あたりで、なにか文房具系のプレゼントでも探してみよう。でも彼のセンスが分からないから、上手に情報収集しないとな。ごめんごめん、文房具じゃなくて、ステーショナリーだったね。思春期の男の子は、少し面倒になっているはずだ。